KJ-2000は、某国の技術を鼓舞するうえで欠かせない存在であるからまずTOPに来る。そしてJ-7GBは言わずと知れた八一飛行隊のメンバーである。ちょうど私の真上でスモーク・オン、天安門広場から見れば通過手前でスモークが出る形となる。
第2編隊が直ぐ後ろに続く 
The 60th anniversary of the founding of PRC
早期警戒隊の第2編隊を指揮した張暁東団長。飛行時間3700時間。
2009年10月1日は某国の60回目の誕生日である。10年振りの軍事パレードがなければ殆ど関心のない祝日となったが、何せ軍用機も参加する大パレードが某国首都で展開されるのに指咥えて何もしないのでは、航空機マニアとして失格である。事前準備の活動報告は敢てこのページでは割愛するとして、10月の空中分列式は是非この目で見たいと期待を膨らませ参加したので、ここページでご紹介する。予行演習で実際に首都上空を飛んだのは1度だけ、その他は密集地を避けて安全な場所で繰り返し行われていたが、首都に住む人々には1度の予行演習しか見る機会がなかった。日程等の事前通知は全くないので、私は自分のオフィスからビルとビルの間に見える編隊を悔し思いをしながら社員、同僚達と見てしまった。
軍事パレードが行われる長安街に並行して流れる運河に沿って造られた公園で ここからなら 撮れるのではないかと予想を立てた。
H-6Hの編隊指揮を執った第26航空師団長 銭世平, 10年前の建国閲兵式でも24機編隊の一員として参加している。
10月1日の前日まで某国首都は毎日ドン曇りの酷い天気が続いており、折角の60周年行事は曇り空の中で行われるのかと、前日9月30日まではそのように予想していた。(以前、台湾の中華民国70周年の時が悪天候であった)ところが某国という国、自然をも変える凄い指導力?を発揮できる国なのである。当日までに低気圧の雲上には雨を降らせる薬を撒き、周辺500キロの工場は操業停止。もちろん野焼きなどの類も一切禁止され、当日を晴天にしようと必死の努力が行われていたのだ。「共産党は、自然まで制御できる」との人民の半分冗談の噂話は、2009年10月1日に正に実現されたのであった。

10月1日のお祭りには日本から妻を呼び、久々に夫婦で楽しむ予定であった。いつものことではあるが飛行機などに興味のない妻は、せっかく某国首都まできて初日から飛行機を見に行く私に付き合わされるわけであるから当然つまらなかっただろうが、私の方は待ちに待った100機以上の航空機の編隊をこの目で見たいと、前々から撮影のポジションを決めていた。できれば真下からではなく多少機体の横から撮影できる場所・・・そうだ!あの公園しかないな・・・そう予想して場所は目星を付けていた。

さて前日の、9月30日は曇りで明日はどうなるかと心配したが、10月1日は朝から見事な晴天である。これで某国政府の面子と自然をも左右できる力が示されたというものである(笑)・・・私にとっては 晴れたほうが飛行機が綺麗に撮れるのでありがたいだけであるが。
スエーデンの「エリアイ」と言う早期警戒レーダーに似ていると言うか、そっくりな形状のレーダーを載せている。スエーデンは技術供与していないはずだが某国らしい真似方である。”体操競技の平均台”と呼ばれる棒状のレーダーを背中に積むが空中での管制業務はできないそうである。
KJ-2000は、無錫の空軍基地を本拠に置く第26航空師団所属。フェーズトアレーレーダーは回転しない固定型で、ロシア製A-50のものではなく某国が独自開発したシステムと言われるが、某国での独自開発とは完全に一から開発されたものを指すとは限らない。指揮を執るのは第26師団の師団長顧維峰、6000時間の飛行時間を持つ。
陸上でのパレードが佳境に入って12:10東の空に機影が見えた。予想通り第一編隊は、KJ-2000とJ-7GB8機により構成される見事な編隊である。私の予想はすっかり外れ、編隊はほぼ私達のの真上を通過していく位置になっていた。
街も公園も建国60周年で花などでピカピカに飾って整備をしていた。実にきれいな公園であり、街を展望できる”お立ち台”には某国の軍事マニアらしき人々がラジオを手に集まっていた。ラジオでは天安門前の式典の様子が放送されるので、空中分列式のスタート時間がよめるのである。エアバンド・ラジオではないので誤解のないように(笑)。我々はここで09:00からスタンバイしていたが大勢のカメラマンが集まって来た。
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空中分列式を空からも撮影しようとCCTV(中国中央テレビ)のヘリが上空に待機
次に 第3編隊として現れたのがH-6H、バジャーの某国版である。戦術爆撃機の9機編隊、陝西省武功空軍基地第36師団所属であった。各機の両翼にはYJ-63巡航ミサイルの模擬弾が付けられている。
KJ-2000に乗り込み全部隊の指揮も担当した26師団の師団長顧維峰 6000時間の飛行時間
翼下には、射程200Kmを誇る巡航対地ミサイル YJ-63(KD-63) 2基を懸架。
給油編隊を指揮した劉殿軍師団長、彼は4000飛行時間、軍事指揮学という部門で修士の課程を経ているそうである。
第2編隊は、KJ-200早期警戒機2機と6機のJ-11(Su-27)である。私にとってはJ-11のこれだけの編隊飛行を見るのは初体験、この部隊 広州の第2航空師団で、この日の為にコックピット横に五星紅旗を書き込んでいる。この旗は編隊を組む上での目印として書かれたものである。
第4編隊 給油型バジャーにぴったりと寄り添うJ-10、その後はJ-8U(J-8D)である。今回の編隊の中で最も撮りたかったフォーメーションであり、私もこの瞬間は気合いが入った。市街地上空を通過する事から安全のため給油ドローグに接続させず、一定の距離を置いた密集編隊である。